ACT2.魔眼の英霊 〜Night of Assassin〜
遠い記憶。それは過去の記憶。もう、忘れてしまったと思っていた記憶。もう二度と出会う
ことはなく、もう二度と触れることも叶わない。
あまりにも愛おし過ぎるその姿に、触れたいと願いながらに手を伸ばす。
でもそれは叶わない。夢だから。幻だから。
それでも、それでももう一度だけ、掴みたいと触れたいと願った。
永遠に変わることのない愛しいという想いを伝えたかった。
夢でもいい、幻でもいい。
掴むことができたなら、触れることができたなら、伝えることができたなら、それはいつか、
自らが生きた証として残るのだから。そう、それは永遠に――――。
真っ白な光がすべてを包み込んだ。
柔らかく優しい、それでいて暖かい光に導かれて、気付けばここにいた。
小さな物置小屋であろうか。家具などはほとんどなく、床に敷き詰められた布だけが、ここ
で誰かが生活をしているという証を立てている。ぼうっと光が収まるのを待ち、ようやく開け
た視界の中に、少女を見た。
「はじめまして」
にっこりと笑って佇む少女は、そう言った。ブロンズの髪に透き通った青い瞳。まだあどけ
なさのいくらか残る少女にシキは首を傾げる。
なぜ、自分はここにいるのだろうかと。
「……とりあえず、はじめまして、でいいのかな……?」
とりあえずシキは倣ってみる。挨拶をされたのだから、返さなくては礼儀として失礼である
と、いつの日かどこかで仕込まれた習慣に身を任せてみた。
少女はにっこりと笑い迎え入れてくれるも、そんな応酬を何度か続けるうちに、段々と訝し
げな表情に変化してくる。何か悪いことでもしたのだろうかと考えたシキに、少女は幾分か申
し訳なさそうにこんなことを言った。
「あなた……今の自分が置かれている状況分かって…………ないよね?」
目の前には君がいて、自分がいる。え、そういうことじゃない?
「やっぱりかぁ……」
額に手をあて、あうー、と唸る少女をシキは見つめて思考する。この状況が、まったくもっ
て理解できない。そもそも、これはいったいなんなのだと。
「聖杯戦争」
「聖杯戦争――?」
「そう。魔術師の間ではここの聖杯戦争はそれなりに有名ね。七人の魔術師がサーヴァントと
呼ばれる使い魔を召還して、どんな望みでも叶えることができる杯を、最後の一組になるまで
奪い争うの。願い事はそのマスターとサーヴァントへ捧げられる」
「ということは……?」
シキは自分を指差し、目の前の少女を指差す。
その行動にどこか満足げな様子で、満面の笑みを零しながら、うんうん、と少女は頷く。少
女を指差し、
「君が魔術師で」
シキは自分を指差してみて、
「俺が……?」
ビシッと少女が指を指す。
「私のサーヴァント!」
「え?」
「だーかーらー!」
と、そんなやり取りを小一時間。シキはようやく、自分の置かれている立場を理解する。
聖杯戦争と呼ばれる儀式に呼び出されたのであるということ。シキは魔術師に召還されたサ
ーヴァントという使い魔であるということ。これより何でも願いを叶えることのできる聖杯を
奪い争うということ。シキは一番最初にこの少女が説明してくれたことを、ようやくある程度
まで理解するに至る。
ぜはーぜはーと息を荒くする少女は、やっと満足げな表情を取り戻したかと思うと、自らの
名を名乗った。目の前の少女の名が、ユイ・アルフォード・アインツベルンであるということ
を、シキは聞かされた。
「大丈夫? 召還されたばかりだから疲れてたりする?」
シキは言われるがままに自分の随所を動かしてみる。
疲労はない、どちらかと言えば、長らく動かすことのなかった実体が、逆に随分となまって
いるようにさえ感じる。
「いや、俺は問題ないよ。どちらかと言えば調子がいいくらいだ」
手を握り、身体中から魔力が漲ってくるのが分かる。サーヴァントは魔術師から魔力の供給
を受けることで、実体として成り立つと共に行動における根源の力を得るに繋がるのだそうだ。
供給を受ける魔力の量が多ければ多いほど、サーヴァントの動きはより多用化され、また一度
の攻撃の威力にも影響を及ぼす。つまるところ魔力が永久的に供給され続ければ、それこそ半
永久的に活動できることを意味する。もっとも、サーヴァントは機械でもなければ、魔術師も
また永久機関ではない。意思や思惑が介在することを考えれば、永久とはまた、果てしなく遠
いものだとさえ感じさせられてしまう。
「……はぁ、でも弱ったなぁ」
ふと、少女がいかにも困ったという表情を浮かべぼやいた。
なぜか恨めしそうにシキを見つめながら、また盛大に溜息を吐く。
それでも淡い期待を込めて、少女が言う。もっとも、それはすぐさま打ちのめされてしまう
わけだが。
「あのさ、聖杯戦争……知らないんだよね?」
「あ、あぁ……」
「うう……召還されるサーヴァントは聖杯戦争のシステムを知ってるって聞いたのに……。私
の先々代のおじいさんも第二回に参加してるらしいけど、昔過ぎて全然参考にならないよ……」
少女が腕を組みながら、悩ましげに唸る。まるで自分の失態のように聞こえるので、もとい
言われている気がして、シキは少しずつ申し訳ない気分になってくる。なんというか、踏んだ
り蹴ったりだ。
しかしながら、シキもまた簡単な説明の中で、考えるべきことはいくつかあった。まずはこ
の聖杯戦争というシステムが、実のところ想像以上に物騒な儀式であるということだ。用意さ
れる聖杯はたったの1つ。それを七人の魔術師が奪い合うのである。魔術師が関与しているの
であれば、その1つを目指す執念は半端なものではないはずだ。欲するものを手中に収めるた
めならば、魔術師という人種はいとも簡単に他人を傷つけ、時には殺すことができる。すべて
の魔術師がそうであるとは言わない。だが、そういった人種が多く蔓延っているのも、事実な
のだ。
そして、この儀式をより過激に、或いは凶悪に仕立て上げているのが、シキ自身が該当する
このサーヴァントシステムだと言っていい。
使い魔とは言っても、シキ自身がそうであるように他のサーヴァントも恐らく人間と変わら
ないなりや姿をしているとみていいだろう。それ以上に、サーヴァントとは魔力を糧とするこ
とで異常な破壊力を生み出すことのできる一種の兵器に近いのかもしれない。
それが7つ、魔術師が従えて争うのである。穏やかな話ではない。
今更ながらに、シキは感じる。この聖杯戦争という儀式は、命の奪い合いにも等しい殺し合
いの儀式なのだ。
その儀式に目の前にいる少女は参加するため、サーヴァントを召還したということになる。
「あの、さ。ちょっといいかな?」
「ん?」
腕を組んだまま片目をぱちっと明け、少女がシキを見た。
「君も、聖杯戦争に参加するんだよな? 聞かせてもらった話をまとめると、どうにもこの儀
式は穏やかじゃない。命を落とす危険だって十分にあるんじゃないのか? 君はどうして、こ
んな危険な戦いに身を投じようとするんだ?」
シキも少女を見る。
なんだか、話の重さとはまったく反比例な、凄い嬉しそうな表情をしているように見えるの
だが。
「なんか、こういう風に話せる人がいるのは新鮮でいいかも。あ、でもあなたはサーヴァント
で……でもいいよね! うんうん、私はずっと一人だったから、気軽に話せる人がいなくて。
ちょっと感動しちゃった」
根本的なところがズレているような気もしないこともないが、とりあえず話を本題に戻す。
「理由は、そうだね……。うちの家系はアインツベルンっていう有名な魔術師の分家筋なの。
アインツベルンっていうのはね、この聖杯戦争を成立させた魔術師の家系らしいんだけど……
って、とりあえずそれは置いといて。あんまり顔も覚えていないんだけど、私のお父さんもや
っぱり魔術師だったみたいで、それはもう立派な魔術師だったのよ! ほとんど覚えていない
お父さんの背中、それで私も少しでもそんなお父さんに近づきたくてね、ちょっとしたきっか
けで参加する魔術師に選定されたの。聖杯戦争に参加することは魔術師としてとても名誉なこ
となのよ。だから、聖杯戦争に参加することで、お父さんみたいな立派な魔術師に少しでも近
づければいいなって、そう思ったの」
とても無垢で、とても純粋な笑みを浮かべて、少女はそう語った。
顔も覚えていない魔術師の父親の背中を追って、この少女は足を踏み入れたのだ。この世界
に。この血と死に溢れた世界に。
でも、だからこそ。
「さっきも言ったけど、命を落とす危険もあるんだろう? これはどんな理由があろうとも、
殺し合いに発展する。そこで死んでしまったら、意味なんて――――」
そこまで言って、シキは言葉を詰まらせる。意味なんて、その先を言うことができなかった。
まるで自分自身への言葉、戒めになってしまうようで。
それでも、シキはもう、誰かが目の前で死ぬ姿を、見たくはなかった。
「うん、それは知ってるよ。私だって戦いはあんまり好きじゃないしね」
「だったら……!」
「でも、私は後悔していない。それに死なないもん。あなたに出会えたのだって、聖杯が導い
てくれた運命だとも思ってる。だから私は、聖杯戦争と正面から向かい合うの。願い事は正直
なところ、今はまだないけど、最後まで勝ち残った時に考える。あなたの願いと、そして私の
願いを」
「俺の……願い……」
そんなものはあるのだろうか。
すべてを置いてきて、すべてを手放した自分に果たして、願い事なんてそんな大それたもの
が本当にあるのだろうかと、考える。まるで失った過去に固執しているようで、シキはいい気
分にはならなかった。
「ねえ、あなた」
言われてシキは視線を落とす。シキの服の裾を掴みながら、少女が訊ねる。
「まだ、名前を聞いてなかったわよね。私はさっき言ったけど、長いからユイでいいよ。それ
で、あなたの名前は?」
魔術師の少女がその手を差し伸べてくる。
シキもまた本能のままに、ゆっくりと手を差し出す。
シキはユイに召還されたサーヴァント。これより殺し合いの戦地へ赴くことになるだろう彼
女の剣であり、盾といったところか。
あまり上手く回っているとは到底言えない思考の中でも、これから何をするべきか、それを
シキは改めて感じる。
シキとの出会いを運命だと言った少女。
顔さえまともに覚えていない父親の背中を、追い続ける純粋で無垢な魔術師が、手を差し伸
べている。シキはその手を取った。この少女を決して死なせてはならない。
シキはユイを、どんな敵からも守らなくてはならない。
いつか守れなかったあの悪夢を、二度と繰り返さないために。その誓いをここに。
シキは差し伸べられたその手を、しっかりと握り締めた。
「俺の名前は、遠野志貴。よろしく、ええと……ユイ」
「うん! これからよろしくね、志貴!」
ユイの掌に浮かび上がる令呪が、まるでこの出会いを祝福するかのように、輝く。
******
志貴がユイに召還され一日。
ユイも召還による疲労感がほどよく抜け、志貴もまた無駄に魔力を消費しないため、二人は
とあることに従事することにした。
「はい、これ」
ユイに手渡されたのは一冊のノート。
ジャポニカ復讐……ではなく、志貴は手書きで書かれたタイトルに目を落とす。
「一応、私が集めた聖杯戦争についての情報。大したことは書いてないけど、ないよりはマシ
かなと思って」
志貴はそのノートに目を落とす。
昨日ユイから聞いた話のほか、興味深い内容がいくつか記されている。
サーヴァントにはクラスと呼ばれる属性が存在すること。
また、特殊技能や、宝具といった武具や能力を持っているということ。
ふと、疑問が浮かび志貴は隣に座るユイに訊ねる。
「ユイ。俺は、何のクラスなんだ?」
そういえばそうね、なんてのんきなことを言いながら、ユイがちょこんと志貴の隣に腰を下
ろした。順にクラスを見ていくことにしていく。
「まずはセイバーのクラスね。志貴、剣とか持ってる? それとも昔、剣を使っていた記憶が
あるとか」
「……いや、ないと思う」
まずはセイバー、脱落。
「アーチャー、ランサー。名前のまま弓や槍に優れたサーヴァントね。これはどうかな、志貴
?」
残念ながら弓も槍も扱ったことはない。
志貴は首を横に振ると、二つのクラス候補がまた脱落する。
「キャスター、ライダー……」
魔術師ではないためキャスターは有り得ない。ライダーと言っても、愛馬や愛車がいたわけ
でもあったわけでもなかった。よって、除外。
となると、残りは……。
「バーサーカーか、アサシンのどちらかってことよね」
片や最強であり最凶とも言われる狂戦士。
そして片や、舞台の裏で暗躍する静かなる殺し屋。
気性からその在り方まで真逆のクラスはしかし、志貴というサーヴァントには当てはまる要
素がある。過去を遡ればそれこそ、その片鱗を垣間見ることができるだろう。
「そっか。それなら、志貴はアサシンね」
ユイがノートを志貴の手から引っ張り取り上げた。ページをいくつか捲り、止まる。
「狂戦士、バーサーカーには他のサーヴァントにはない特徴があるの。その名前のままに、バ
ーサーカーは自我を放棄することで狂異的な力を得ることができる。それこそ、最強と名高い
セイバーのサーヴァントを凌駕する程に。その代わり……」
ユイはノートを閉じた。
「狂った力はサーヴァントにも魔術師にも想像し得ぬ負担をかけることになる。これまでの聖
杯戦争で、バーサーカーのクラスを引き当てたペアは、そのほとんどが自滅しているの。魔術
師の魔力が枯渇し、サーヴァントは自らの力にいずれと耐え切れなくなる。まさに諸刃の剣ね。
だから」
志貴はアサシンなのだと、ユイは笑った。
少なくとも志貴は自我を持ち、ユイの負担は異常な程に大きいわけではなかった。それが証
明する。
確かに、言われてみればその通りなのだろうと思ってしまう。
アサシン……生まれ出でた家系を考えても、その采配はあながち間違いでもないと、志貴は
苦笑するしかなかった。
ふと、ユイが手にして読み始めた本が目に映る。
またこれまでとは違った聖杯戦争に関与する書物かと、少しだけそのタイトルを覗き見る志
貴に、ユイは気付くと満面の笑みを零して掲げて見せた。
『世界の英雄録』
志貴を探すんだから、なんて言いながら少女は読書を再開する。
志貴は気まずい想いをただ隠し、心の中で自分のマスターに謝った。
(絶対に載ってないから……)
そうこうして朝が終わり昼が過ぎ、夜を迎え、朝が来る。
時間はあっという間に過ぎ、少しずつ街全体の雰囲気が変化していることに、二人は違和を
覚えながらも狼煙を待った。
志貴がサーヴァントとして呼び出されてから三日が経ち、しかし事態は一向に大きな変化を
生み出すことはないまま、時間だけが過ぎていく。
他の魔術師に出会うこともなければ、他のサーヴァントに出会うこともない。
それでも街全体の雰囲気は確かに変容している、でもそれだけ。
まるで、本当に聖杯戦争なるものが始まるのかと、そんな疑問を志貴が感じ始めた頃、ユイ
が突然おかしなことを言い出した。
青い瞳に微かな揺らぎと疑念を抱きながら、ユイは夜の広場で志貴を見上げる。
「今回の聖杯戦争は、聖杯戦争じゃないのかも……。何かが……ううん、全部が、おかしいの
かもしれない」
小屋の外で敵を警戒していた志貴の元まで歩み寄った少女は、見上げながらにそんなことを
囁いた。
真上まで昇る満月が、少女の瞳と同じように揺らいだような、そんな錯覚。ユイは聖杯戦争
について調べるうちに、おかしな事実にぶつかったらしい。
元々が最低限の知識しかない二人組だったのだ。発見は常にあり、不足の知識を補ってきた。
だが、それと今日のユイとではあまりにも調子が違い過ぎていて、志貴も眉をひそめる。それ
は、この聖杯戦争を根底より覆すに十分過ぎる内容であると、話を聞き終えて数瞬考えるまで、
志貴も気付かなかったのだ。
第五回聖杯戦争によって、冬木の大聖杯は破壊され、聖杯は消滅していたということ。
つまり、もはやこの地に聖杯なんてものは存在しないのだ、と。
「聖杯戦争に参加する魔術師とサーヴァントの目指すべき聖杯がない――――?」
この聖杯戦争には聖杯がない。求めるものがないということだ。
争う意味も殺しあう意味も、最後の一組に勝ち残る意味も、すべてを失っている。
空っぽな戦争。
そして、そこに潜む大いなる矛盾が露になる。
「それなのに……令呪の下にサーヴァントは召還された」
そして聖杯戦争は、着々と始まりの鐘を待つだけとなっている。
存在しないものに命を賭けて争う戦争が、まさに火蓋を切ろうとしている。それでもこれは
止まらない。そもそも簡単に止まってしまうようなものならば、最初からこんな始まり方はし
ないのだ。
「ねえ……」
少女の発した不安気な声に志貴は静かに頷いた。
風の音が、ざわめく木々の音が、虫や夜鳥の鳴き声さえもが消える。
夜はあらゆるものを排他し、狂気を呼び込むものであると、志貴はそんな昔の言葉を思い出
していた。
生の息吹を失った世界に、土足に踏み入る力がひとつ。先程揺らいだように感じた月は、錯
覚などではなかった。これは紛れもなく、
「気をつけてくれ、ユイ。俺と同じ気配…………こいつは、サーヴァントだ」
サーヴァントはサーヴァント同士で位置を探り合うことができる。広範囲での探索は特定の
クラスであるサーヴァントでしか叶わないが、狭範囲であればどのサーヴァントでも特定する
ことができる。
志貴が感じる気配、人並み外れた魔力の渦が、すぐ傍にひとつ。
「ううん、サーヴァントだけじゃない。あっちにもマスターがいる」
ユイも、相手の魔術師の存在を感知していた。
このままではまずいと、丸腰の志貴はあらゆる雑念を払い捨て、過去に自らが手にしていた
ものを具象化させる。
その手には飛び出し式のナイフが一振り。大仰な武器でこそないが、自分自身の一部である
かのような、不思議な感覚に志貴は高揚した。胸の奥から、失ったはずのものがこみあげてく
る。
しかしそれも束の間。そんな高揚を絶望に変えてしまえるくらいの光の束が、ユイと志貴が
これまで過ごしてきた小屋を、飲み込んだ。
志貴だけではなくユイもまた、絶句する。
まるでレーザー光線のように放たれた閃光は、家とその後方に連なる木々もろとも跡形も無
く吹き飛ばす。
唖然とする二人に浴びせられる声は、どことなく笑いを帯びていた。
志貴とユイの遥か視線の先。そこに、ヤツらはいた。
「魔術師とサーヴァントだな。アタリだ」
長身のダークスーツを着込んだ魔術師が醜悪な笑みを零し、その傍らでは魔術師とは正反対
の厳かな雰囲気で佇むサーヴァントの姿。
サーヴァントの装いはそれほど重装ではない敏捷性と機動力に長けた格好である。
鎖帷子と呼ばれる軽装の武具で編まれた鎧を纏い、その手には先端を磨き上げたレイピアの
剣に酷似した武装を手にしている。剣から連想するサーヴァントはセイバー。だが、見かけだ
けでユイも志貴も判断はしない。
志貴自身がそうであるように、サーヴァントのクラスは必ずしも条件を満たすものだけには
なり得ない。
志貴はユイを後方へ押し退けると、一歩前へと出る。
呼応するように、ダークスーツのサーヴァントもまた一歩を踏んだ。
「若いな、サーヴァント。ふむ、正面から戦うサーヴァントでもないようだ」
言葉と共に言い知れない重圧の波が押し寄せてくる。
「どうだ、若いの。降れば魔術師を助けてやらんこともない」
そして、言葉を翻した際に向けられるであろう殺気が、サーヴァントの奥底で漏れながらに
眠っていた。
ナイフを握る手に汗が染み出し、改めて感じさせられる。
ふと、ユイの読んでいた書物が志貴の脳裏を過ぎった。
聖杯戦争に召還されるサーヴァントは、この世界において英雄と呼ばれた者達であるという
こと。つまり、ここにいるのは人間ではなく、人間だったモノと解釈するべきであろう。戦う
べき相手とは、伝説や伝承そのものということになる。
あらゆる戦場を踏破し、あらゆる武勇の誉れを手にした生きた伝説である。それは御伽噺に
も近い非現実の世界より出でた、人々の想念が創り上げた兵器と言ってもなんら差し支えはな
い。現実と幻想の折り重なった英雄は、それこそ。それこそ、伊達に英雄と呼ばれているわけ
ではないのだということを、思い知る。
聖杯戦争に集まるサーヴァントは、化物の中の化物なのだと、ここでようやく肌身で志貴は
理解した。
「ふん、怖気づいて声も出ぬか――――!」
その一喝にびくりと、少女が身を震わせる。
志貴の服の裾を掴みながら、その手は小さく震えている。これが聖杯戦争。これがサーヴァ
ントを賭した、魔術師の殺し合い。
圧倒的な力を前に怯えているのかと思えばしかし、少女は震えながらにも魔術師としての顔
を覗かせた。
「志貴、私はどうすればいい?」
だからこそ、志貴もまたサーヴァントとしての自分を垣間見せなければならない。
ユイが魔術師としてサーヴァントに応えようとしてくれるのならば、志貴はサーヴァントと
して魔術師に応えなくてはならないだろうと。
もとより、端から選択肢などないのである。ならば、荘厳と佇むサーヴァントへの答えなど、
初めから決まりきっていたようなものだった。
一歩を踏み出す、それがユイに対する志貴の答え。
「悪いな、サーヴァント。俺たちがお前に降る理由はないよ」
サーヴァントと魔術師は一蓮托生。魔術師が消えればサーヴァントが消え、サーヴァントが
消えれば魔術師もまた消える。
だからこそ、ここで背を向けるわけにはいかないのだ。
「ならば仕方あるまい……」
その言葉と共に、豪快に笑みを零すサーヴァントがずしりと一歩を踏み出す。
何年、何十年、何百年もの間、待ち侘び続けた一歩を踏み出して、サーヴァントが吼えた。
志貴とユイが拠点としていたこの広場の敷地はおよそ20000平方メートル。
郊外へと繋がる道路と森に挟まれた工事現場さながらの様相を呈するこの場所で、形失き聖
杯を追おうとしている魔術師とサーヴァントが対峙する。
ユイと志貴の背後は異様な雰囲気を漂わせる森が鬱蒼と拡がり、先程の一撃により森の一部
が焼け焦げ薙ぎ倒されているのが見て取れる。
その光景を見ながら、ようやく志貴は冷静に戦うということを分析していた。
自分のマスターが拠点としていたこの場所における布陣は、実に利に適っていると改めて感
心する。道路を下から一望出来るのも、森の中に逃げ込むことで敵からその目をくらますこと
ができるのも、戦うにしても逃げるにしても、悪い場所ではない。
ただ、それがすべての利に適っているのかと言われれば嘘になる。
現に今、敵を二人は見上げながら、背後に茂る森を背に戦おうとしている。遮蔽物の少なす
ぎるこの場所で、戦うにしても逃げるにしても、対軍宝具や正確無比な長距離武装を持つサー
ヴァント相手には地の利が生まれない。
それがまさに、今の状況を指し示していた。
小屋を薙ぎ払ったサーヴァントの一撃は、対軍武装であることはまず間違いない。
それが宝具としての真価を発揮した時、或いは最悪の結末を生むかもしれない。ならば諦め
ろというのか。それも有り得ない。
勝利と生存を賭けて戦う数少ない方法と手段から、マスターを守り或いは勝利を捧げるのが
サーヴァントの役目。それがどんな局面であろうとも変わりはしない。
志貴はひとつ息をつく。
最初に志貴が誓った役目を、自らに穿たれた楔を振り払うための、最初の正念場が早くもや
ってきた。
小さな声で背中に隠れるユイへと促す。ここは今から戦場になる。
「俺がやつらを引き付ける。ユイはその間に森の中に。遮蔽物の少ないこの場所で、二人が背
を向けるわけにはいかないだろう。またあんなのを喰らっちゃ、さすがにおしまいだからな」
瓦礫と化した小屋を志貴は一瞥し、苦笑を殺して視線を戻す。
マスターの不安を背後に感じ取りながら、それでも志貴はユイの背中をそっと押した。
「すぐに追いつく。大丈夫だ、ユイには指一本触れさせやしないさ」
最大級の大見栄を張って、志貴はユイを送り出す。
ちらちらと背後を窺いながら、やがてユイは思い切り森の中へと向かって走る。
二本の足を鋼のように、背中で少女の姿を見送りながら、志貴は彼らの前に立ち塞がる。
ここからは、己がその命を賭けて、止める番だ。
「おいっ! マスターの方が逃げたぞ! さっさとあのガキを仕留めないかっ!」
志貴の最初の見立て通り、魔術師は醜く声を荒げながら森へと向かう少女を指差す。
志貴にとって相手の思考が苛立ちで焦燥であれ、乱れてくれることに越したことはなかった。
どんなに罵詈雑言を浴びようとも、そんなものは傷にはならない。むしろ恐ろしいのは、こ
の状況をどこまでも冷静に見つめる判断力と思考力に尽きる。冷静に考えられては、思案され
ては、利の中にある不利だけを浮き彫りにされ、後手へと回ることになる。そうされてしまっ
ては、稼げるはずの時間さえも稼げなくなってしまい、結末は望まぬものへとなるだろう。
だから志貴は、それを激情する魔術師の隣にいるサーヴァントが持ち合わせているのだと知
った時、少しだけ苦渋の表情を滲ませた。
これが、英雄と呼ばれるサーヴァントなのかと。
「焦るな、マスター。どの道この場所はアレを倒さぬことには通れぬよ。ふん、覇気や闘気か
らして前線で戦うタイプでないことは明らか。恐らくはアサシンか、それに準ずる弱者だよ。
だが、サーヴァントであるということは、あらゆるものを逆転させることができる存在である
ということを、決して忘れるでないぞ。足元を掬われてから考えるのでは遅い。……どのみち
魔術師を殺すのであれば、邪魔立てするこやつは確実に斃すべきであろうしな」
ナイフを握り締めている手が緊張で熱くなる。
魔術師以上の冷静な判断力と、洞察眼を持つサーヴァントに愕然としながらも、志貴は踏み
出す。
ありとあらゆる可能性に賭けて、取り巻くすべての時間が進みだす。
「行くぞ……アサシン! 楽しませてくれよ――!」
道路より飛び降りてくる姿に気圧されながらも、志貴も渾身の力を込めて迎え撃つ。
人々に語られる伝説が志貴の目の前に、降臨する。
「貴方程の英雄を楽しませることができる腕が自分にあるかはわからない。だからこそ、全力
で迎え撃つ!」
「その心意気やよし!」
風が一気に突き抜ける。
一歩を踏み出したサーヴァントの姿が消え、気配が瞬間的に移動した。
それだけを頼りに、志貴がナイフを振るうと火花が盛大に散る。
「ぐっ……!」
「ぬう……!」
散った火花に鉄の音が彩りを添える。
背後より振るわれた剣は横一閃、薙いだナイフが震え、啼き響く。速い、それでいて正確無
比。
「良くぞ、止めた!」
にいっと笑みを浮かべたサーヴァントが、剣を持つ腕を後ろへと引いた。瞬間、それがレイ
ピアと呼ばれるに相応する剣の、最大の攻撃であることに気付く。円錐状の剣が、剣尖に風を
巻き込みながら唸りを上げる。ありとあらゆるものを貫く刺突の究極が、ここに垣間見えた。
「く、そっ!」
志貴は重心を傾けながら、剣をナイフで受けるとそのまま逆方向へと弾き返す。
剣が志貴とは逆方向にそれるとサーヴァントに隙が出来た。決定的なチャンス。それなのに、
剣を弾いたナイフと腕も同様に反動を受けて二撃目を繰り出せない。
それで当然と言わんばかりに、もう一度サーヴァントが笑った。弾いたはずの剣が志貴の反
対側から鉄棍としての意味を持ちながら、反動を翻し戻ってくる。
訪れたのは全身への衝撃と、地面を転がり打つ痛み。
「……っは……」
片手を軸に体勢を立て直すも、衝撃が全身を蹂躙する。呼吸から視界までもが震えておぼつ
かない。
「上手く緩和したな、若いの。想像以上にやるではないか」
言葉と共に再びサーヴァントの姿が視界の外側へと移動する。
がりがりと大地を抉る音が迫ってくる。剣尖が地面を削り取りながら、真下よりすくい上げ
る一撃が、志貴の目の前を通り抜けた。
ぱきっという音と共に、眼鏡のレンズが真っ白な罅の塊になる。
衝撃だけで眼鏡が割れた音だった。だが、これで二度目。
剣が空をすくい上げ、真上に上がった瞬間を志貴はすかさず間合いを詰めに懐へと飛び込む。
ナイフが夜空に傾いた。
「させんわッ――!!」
怒号と共に再び鉄の音が啼く。
志貴の攻めに転じた一撃は剣の柄へとぶつけられ、衝撃だけで志貴の腕もろともが圧倒され
る。
やはりここでも二撃目に転じることが志貴にはできず、やむなく距離をとった。素早く背後
へと跳び間合いを広げて、震える腕を押さえながらに英雄と呼ばれる怪物に視線を向けた。
状況は志貴の想像以上に芳しくない。黙る志貴にサーヴァントは顎をさすりながらに笑った。
「どうした、降る気になったか? いや……その眼はまだか。ふはははは、そうでなくては面
白くない。そうであろう!」
「……戦いを楽しむだなんて、まったくどうかしている。こっちはどうやって勝って、生き延
びるかを考えるのに精一杯だっていうのに」
「ほう……そこまでまだ考えられるだけの力があったか。いや、確かにそうであるな。我々サ
ーヴァントには宝具というものがある。一撃で全てを覆す可能性を持つ力が、我々にはある。
勝ちたいか、生きたいか。ならば宝具を出してみよ。この状況が覆るかもしれぬぞ!」
苦言を漏らした志貴にサーヴァントは言う。
勝ちたければ、宝具を見せてみろ、と。
だが、今の志貴にその選択肢はない。いや、最初からなかった。
「残念だけど、俺にはその宝具とやらに当てはまりそうな力がなくってね。まともに分かって
いるのが、自分はアサシンだろうということだけだ。そもそも、どうして自分がサーヴァント
として呼ばれ、この聖杯戦争に参加しているのかもわからない」
それだけ言って、志貴はくるりと手の中でナイフを回した。
逆手へと持ち替えたナイフを、目の前のサーヴァントへとむける。
これといった特徴もなく、本当に役立たずの自分がどうしてサーヴァントなんてものをやっ
ているのか、そんな疑問が最初にはあった。それでも、この聖杯戦争という儀式を紐解けば紐
解くほど、見えてくるものは少しずつ変わってくると、志貴は信じて止まないでいる。
だからこそユイを守ると誓い、この儀式の最後まで勝ち残ることを誓ったのだ。
ユイが止まれと言うならば止まろう。
だが、彼女が父親の背中を追って走り続けている間は、共に走り続けようとそう誓ったのだ。
「宝具がない、と? ふはははははははは!!! これは面白いサーヴァントもいたものよ!
これでは歴代史上最弱のサーヴァントと罵られても文句すら言えまい!」
サーヴァントは半ば呆れたように笑いながら、一歩二歩と歩みを進め始める。
見つけた玩具はあまりにもつまらなく、張り合いのないものだった。剣さえ構えないまま歩
み寄ってくるサーヴァントからは、この戦いへのつまらなさが滲み出る。
それを一撃の下で振り払おうと、隙だらけ外見を晒しサーヴァントが迫ってくる。
動きたいならば動けと、ただどちらの選択をしようとも、その結末は変わらない。
サーヴァントの眼からはそれだけの自信と言葉が満ちていた。
間もなく、この戦いは終わるのだと。
「「「――――!!?」」」
眼前のサーヴァントの気迫に気圧されたのか、それともただ単純に生前に持ち合わせていた
眩暈を起こしただけなのか、ぐらりと脳が揺れた。
よりにもよってこんな時にと、自分の不甲斐なさを叱咤しながらも、頭の中に別の誰かが勝
手に入り込んできたそんな感覚に、やがてそれが幻聴でも幻覚でもないのだと知った。
やめろと訴えても、直接脳へと叩き込まれる不快感はしかし、語ることをやめない。
それは志貴に思い出せという。
お前は誰だと問い詰める。
それなのに名前を語る意味などないとのたまう。
ただ武器を持てと。
ただ目の前のやつを見ろと。
そして戦って闘って、そいつを殺してしまえと。
時間にしてそう大した時間ではなかった。
それでも、サーヴァントは既に志貴の目の前にいる。
あまりの無抵抗さに不快感さえ表情に表して、最弱と豪語したサーヴァントに剣を向けた。
あまりにも張り合いのない相手であった。
そしてこれで終局、お前達の聖杯戦争はここで終わりなのだと。
「痛いみは伴わん。一撃で還してやるぞ」
揺れる視界の中に映るのは、サーヴァントが剣を振り上げた姿。
最後の審判を下す執行人のようにぼんやりとした姿だけが映し出される。これは過去の繰り
返し。遠野志貴という人間に課せられた悪夢。ユイの顔がふと脳裏に浮かんだ瞬間、目の前の
巨躯が衝撃に揺れた。効果があるとは到底思えない。それでも、サーヴァントの意識は志貴か
ら別の何かに向けられる。
「志貴! 諦めちゃダメ!」
遠くの方から、少女が駆け出していったはずの方向から聞こえる声に、視界が正常な景色を
取り戻していく。
紛れもない、それは志貴が守ると誓った少女の声。森の中に逃げたはずの少女はしかし、そ
の手に光の粒を輝かせ、サーヴァントに立ち向かう。
「そいつから離れて! ――このッ――志貴から離れろっ!!」
後方より紡ぎだされた光の粒が、志貴の眼前で弾ける。
激しい衝撃と威力が、空気を伝う。
白煙が昇る影の中からはしかし、無傷のサーヴァントが姿を現すだけであった。ユイの渾身
の魔術をあっさりと無効化してしまう抗魔力に、さしものユイも愕然とする。
サーヴァントと魔術師はそもそも、比較すべき対象ではないのだと、その意味を知った。
「魔術師、その程度の魔力で前へ出てくるなよ」
ぎろりとユイを睨みつけ、サーヴァントは不機嫌極まりない表情で言い放った。
「その程度の魔術師ごときが、我らサーヴァントの戦いに横槍をいれようなど、礼がなってお
らんわ。このサーヴァントが命を賭して貴様を逃がそうとしていたにも関わらず、このような
無粋な形で出てきてしまっては、こやつが報われぬぞ」
志貴を見下ろしながらに、サーヴァントが雄弁と語る。
「分かった風なこと言わないでよっ! 魔術師とサーヴァントは手を取り合って協力するもの
なの! 私だって、最初から一人で逃げるつもりなんてなかったんだからッ!」
しかし渾身の反論をサーヴァントは一蹴する。
笑わせるなと嘲笑し、再び不快の色に表情を染めて皮肉をこめる。
「協力? 協力と言ったか小娘? サーヴァントに何ひとつ劣る魔術師風情が、いったい何を
協力すると言うのだ? 何も分かっておらぬのはお前だ魔術師。……身の程を知れッ!」
そうしてサーヴァントはゆっくりとした動作で、少女へ剣を向ける。
びくりとユイは震え、志貴もまたその悪寒の正体を感じ取る。
この事態の最悪さを、誰よりも先に感じたユイの表情は既に青ざめていた。
志貴の目の前にいるサーヴァントの周りだけが、正常な世界として働き、志貴を含めたそれ
以外の動きを封じ込めていく。世界が、このサーヴァントへ恩恵をもたらしているのだと、気
が付いた。
「アサシン、その眼でしかと見届けよ。自分のマスターが塵と消える様をな――――!」
耐え切れぬ重圧。その重さに耐え切れぬものが次から次へと軋みを上げて、崩壊していく。
視界が、絶望に染まりあがろうとした瞬間、志貴の眼鏡が崩壊した。
――――そして世界は、一変する。
すべては本能のままに。今創り上げられている世界の中心へ片腕を突っ込んだ。
収束したマナの霧散を確認して次の行動へと移る。後先は考えない。サーヴァントの握る剣
へナイフを走らせ解体する。一瞬にしてガラクタへと堕ちた自らの剣を目にして、サーヴァン
トはこの事態に困惑せざるを得なかった。
ツギハギの世界。線をなぞり、点を貫けば、世界はこんなにも脆いのだと識ることのできる
世界。
「……あぁ、そうだった」
志貴はぽつりと呟き、記憶を駆け抜けた自らの過去と力を、反芻した。
いつの日か、志貴はこの力とこの世界で、大切な何かを必死に守っていたのだ。
そして今も守るものがある。自らの危険を顧みず、志貴を救うためだけにサーヴァントへと
立ち向かった少女がいる。
守ると誓った。共に駆け抜けると誓った。
そしてそれをこなすことが出来るだけの力をここで、取り戻した――――。
「志、貴……?」
ユイもまた今の事態を飲み込めないままにいた。
後できちんと説明をしよう、そう志貴は思い、目の前で愕然とするサーヴァントを見上げる。
「今から、あなたが最弱だと吐露したサーヴァントの力をお見せします。きっと貴方も楽しめ
るはずだ」
サーヴァントはぎょっとした表情で志貴との距離を開けると、目を大きく見開いたままに押
し黙る。
サーヴァントからしてみれば、戦う相手が別人に代わったと感じる程に、志貴自身の纏う雰
囲気が一変したのだ。
「貴様は……誰だ?」
驚きの表情、しかし冷静さを取り戻したサーヴァントは、そう問う。
これから戦う相手の名前を、まるで確認するかのように。
「名前を名乗る意味なんてない。俺は殺人貴。あなたの死神だ」
瞬く間に通り抜けた記憶と共に、志貴の姿は過去へと遡る。
全身をダークジャケットとダークパンツで装い、その手には銀光の眩しいナイフが一振り、
闇夜に浮かび上がる両眼が幽玄な輝きを覗かせる。深く深過ぎる蒼の瞳は不浄なモノを垣間見、
あらゆるものを殺せる瞳であると、ここにいる誰もが知る由もなかった。
すべては置いてきたはずのもの、泡沫の夢と消えたもの。
志貴はすっと目を細め、ゆっくりとした動作で構えた。
「今度は、こちらから行かせてもらう」
置いてきたはずのものが長い年月を経て再び戻ってきた。夢と消えたものはもう一度立ち上
がるための力を現実へと具象した。
大切なものを守るために、二度と過去を繰り返さないために、時の流れの中でも決して風化
することはなく。
志貴の蒼い瞳が闇の中で開かれる。
これより先は、あの頃のように駆け抜けるのみ――――!
「おおおおっっ!!」
「な、にっ……!?」
宣戦布告を行った志貴の姿がサーヴァントの視界から掻き消える。
気配を世界より遮断し、感覚を研ぎ澄ませ一点に力を集約する。
ツギハギの世界を駆け抜けて、たったひとつの点に刃を振るった。
ナイフの光が軌跡を描く。散った火花と折れた剣。ナイフの触れた鎖帷子は布の洋服が破れ
たかのように、破片をまき散らしながら消えてゆく。
サーヴァントの額を、一筋の汗が伝った。サーヴァントは志貴の狙い澄ました点への一撃を、
剣と鎧の二つを犠牲にして躱してみせる。だがその表情に先程のような余裕はない、それは紙
一重の直感が功を奏しただけの、運に過ぎなかったのだから。
「百戦錬磨の勘、といったところですか」
唸るサーヴァントとは対照的に、志貴は汗ひとつかかずにナイフを再び持ち直す。
その姿に、サーヴァントは初めて自らの驕りがどれだけ愚かであったかに気が付いた。
サーヴァントであるということは、それだけで何処かの伝説や偉業の持ち主であるというこ
とを忘れはいけなかったのだ。
それが後世に語り継がれるものであろうと、なかろうと。
「……なるほど。どうやら見誤っていたのはこちらであったか。宝具がないなどと小賢しいこ
とをぬかしおったお前を、素直に嘲笑ったことの愚かさ。それをこのような形で感じることに
なるとはな。まったく――――」
サーヴァントの腕の一振りで、壊れた剣と鎧が復元する。
英霊とはその名のごとく、英雄より霊格を昇らせた者を言い、魔力と聖杯の力によってクラ
スと呼ばれる器の中へ実体として憑依・具現化させた存在を指し示す。武器や防具なども、記
憶から復元された自身の産物であることから、魔力の供給さえ滞らなければ再現することは可
能なのだ。志貴の姿が変わったのも、このイメージが記憶の中で更新されたからに過ぎない。
本来英霊とは、英雄としての全盛を築き上げた姿と形で、現世に降りる。ゆえに、志貴の目
の前にいるサーヴァントもまた、全盛の時代を駆け抜けた姿そのままに在るべきなのだと、よ
うやくすべてを解放することにしたのである。
ここより先に遊びはない。
再現した剣を再び志貴へと向けると、酷薄な笑みを浮かべた。
「まったく――――こうでなくてはおもしろくない!!」
サーヴァントの周りをたゆたう魔力の流れが、色が変わる。
あまりにも濃すぎる魔力が霧となってあたりへと立ち込め始めると、霧の中で志貴を見据え
ながらにサーヴァントは真剣な表情で、志貴と対等の位置へと立った。
そこには侮蔑も見下す様子もない。一人の英雄が一人の英雄を認め、そして対峙した。
「――訂正しよう、アサシン。歴代史上最弱のサーヴァントと言ったが、それはどうやら誤り
であったようだ。そして、まだこちらのクラスを言ってなんだな。貴様も既に分かっているで
あろうが、セイバーのサーヴァントではない!」
霧の中から強烈な悪寒が鎌首を持ち上げた。
異変の象徴、そして顕れ。
その力は、先程まで志貴と対峙していたものよりも明らかに異質で、強い。
ここにサーヴァントは全盛の時代の姿で、ようやく姿を現した。
「我がクラスは騎乗兵、ライダー!」
そこに顕現したのは一頭の漆黒馬。
頭部に銀の甲冑をはめ込み、白銀の輝きの中に覗く瞳は精霊の象徴でもある青玉。筋肉はす
べてが異常な程に隆起し、馬というよりは生きた戦車とでも例える方が正しい。
騎乗兵ライダー。
それが、これまで本性を現さないままに戦ったサーヴァントの正体だった。
「――っ!」
漆黒馬が鼻息荒く前足を掲げて雄叫びをあげる。
爆音にも似た猛りが木霊し、後ろ脚の第一足が大地を歪ませた。
跨る英雄が目を見開き、手にする剣を突き出して構える。
「去ねえッ――!」
ライダーの初動が爆心地点のように荒ぶ。その速さたるや、間違いなくサーヴァント中、最
速であることは違いなかった。
風を切断しながら、あたりの空気を巻き込みながらにライダーの疾走は更に加速する。
志貴の眼に映るのは景色の中に取り残された残像のみ。
瀑布のような突撃に片手を突いてライダーの軌道上から辛うじて外れるも、暴風は一帯にま
で及び、背中から落ちるような形で志貴は不恰好な着地をする。
これが騎乗兵ライダーの真髄のひとつであった。
世界の理を逸脱した速度で敵を蹂躙し、跳ね除ける。
こうしてライダーは過去、英雄としてあらゆる地を駆け抜けたのだろうと志貴は考えながら
に息を飲んだ。
「反応速度も随分と上がったものだなアサシン。果たして、何処のサーヴァントであるのか興
味深いものよ……!」
愛馬と共に身を翻し、見極めんとする視線のままにライダーは二撃目を携える。
重く圧し掛かる空気に深呼吸をひとつして、志貴もまた迎撃を決めた。
左脚を前に、体重を後方にしてナイフを突き出すように構える。
速すぎる速度の前に、直死の魔眼はほとんど役には立たない。線と点は絶えず呼吸や筋肉の
動きに上下する。それに加えライダーの速度では、たとえ視えたとしても点を突き、線をなぞ
ることはまず難しい。
ならば、と取った志貴の選択肢がこれであった。
突撃を喰らう前に、突き抜ける。
ライダーの突撃を回避する限界が訪れる前に、その脚を殺す。
「実に惜しいな、アサシン。このような場所で決着を着けなくてはならぬとは」
心底残念そうにライダーが呟くと、再び彼を中心に瀑布さながらの衝撃が満ちる。
志貴もまた踏み出す一歩に己の信念と約束のすべてをのせる。
雄叫び、漆黒馬が轟風を携えて迫り来る。嵐そのものと正面からぶつかることなど、一生を
かけても有り得ないだろうなとそんなことを考えながら、前方に体重を移動させ、一歩を踏み
出した。
その一歩が、死の風を纏う。
「極死」
互いがそれぞれの最大速度に入る。
志貴の視界に映るのはこの世界の死の流れ。志貴はライダーを視ることはせず、世界の流れ、
動きだけを頼りに全身に迸る衝撃と共にナイフを疾らせる。
「――七夜……!」
振るったナイフとほぼ同時に衝撃が全身を打つ。重力を失い宙に放り出されたのだと気付く
前に落下し、衝撃に血を撒き散らす。
右腕から右半身にかけて漆黒馬の蹄の痕がくっきりと残り、左肩にはライダーの剣による痕
が噴出す血と共に刻み込まれていた。
それでも身体をくの字に曲げながら、荒い呼吸のままに志貴は身体を起こして背後を見つめ
た。
「……浅いとは言え相打たれるとは。気分としては複雑極まりない、そう思わぬか?」
志貴の視線の先には馬より降りたライダーの姿。
漆黒馬は前脚をたたんで、その場に座り込んでいる。隆起した前脚からは血が噴出し、漆黒
馬は立てないでいた。筋繊維を断絶、立ち上がることさえままならないはずだと志貴は小さく
息をつく。
これで脚は、潰した。
「自らの深手さえ省みぬとは、末恐ろしいサーヴァントであるな」
感心……否、それは疑念とさえなってライダーを唸らせる。
判断と覚悟、そして何より自らの死に対して、恐怖の感情が無さ過ぎる。
かといって、それは無謀とはまた違う毛色をしているのだ。
死とは何か、死ぬこととは何なのか。それを熟知してなお、アサシンは死の隣を常に歩いて
いるかのようにライダーには見えた。
それがどれほど恐ろしく、異常な行動であるのか、それは幾多もの戦地を駆け抜けてきた英
雄でさえ、答えを見出すことはできない。
「……だが、その傷ではもはや戦えまい。まったく、聖杯戦争は未だ始まってもおらぬという
のに、大した男に出会ってしまったものよ」
ここに互いの宝具を解放しないまま、決着がつこうとしていた。
ライダーはあくまで愛馬に跨っただけであり、宝具を解放したわけではない。あの漆黒馬こ
そ宝具の一端なのかもしれないが、それでも真名は未だに紡がれてはいない。
対する志貴も同様に、記憶を取り戻し自らの力を取り戻すも、宝具に倣う攻撃を繰り出した
わけではない。直死の魔眼も宝具ではあろう。それでも、必殺を然りとする真名を解放しては
いなかった。
互いが驕っているわけではない。
聖杯戦争は未だ始まってはいないという事実。サーヴァントは自分たちだけではないという
事実が、真名の解放を二人に留まらせている。
しかし、宝具を使わぬ決着などあっては、それは馬鹿げた話以外のなにものでもなかった。
たとえ聖杯戦争が始まっていようがなかろうが、サーヴァントが自分達の他にいようがいま
いが、死んでしまってはそこですべてが終わり。その先はないのだ。
(――――ここで負けるわけにはいかないんだよな)
志貴は思う。結局何もできずに終わるのであれば、それはすべてを出し切ってからでも遅く
はない。
サーヴァントとしての真価を、ここで見せつけなくて、いつ見せるというのだろうか。
まして、ここでの自分の敗北は、同時にあの少女の死を意味するのだ。
だから。
「ぬう……!? アサシン、貴様……」
ライダーの足が止まる。
この英雄にはわかったのだろう。志貴が死とは別の覚悟を抱いたことを。
「悪いなライダー。何があったとしても、俺はここで負けるわけにはいかない。絶対にだ」
志貴の纏う雰囲気ががらりと変わる。
ここですべてを、ライダーに叩きつけ、勝利を――。
「――――そこまでだ、アサシンのサーヴァントッ!」
真名を解放せんとしたその瞬間、呼ばれた声に志貴は振り返った。
そこにはライダーのマスターである魔術師の姿。そして腕の中には苦しげな表情でもがくユ
イの姿があった。
「それ以上抵抗するなよ、サーヴァント。抵抗すれば、ここでこの魔術師はお終いだ!」
ダークスーツの魔術師の手には、白光煌く小さなナイフ。
それをユイの首筋に当てたまま、醜悪な笑みを零しながらに嘲笑う。
「迂闊だったな! さあ! さっさと武器を捨ててライダーにその首を刎ねてもらえ! あは
ははは! そうだな、そうすれば、ひょっとしたらこの魔術師が助かるかもしれない!」
「志貴っ! こんなヤツの言うことなんて無視してでもそのサーヴァントをやっつけて! 私
は大丈夫だか――――うっ!」
抗弁を振るったユイの腹部に、魔術師が拳をねじりこむ。
咳き込みながら苦悶の表情を浮かべるユイはしかし、志貴の瞳をただ見つめた。
涙が滲んでいながらも、その意思を伝えようとしていることを志貴は感じ取った。
「黙れガキがッ! ライダー! さっさとそのサーヴァントを始末しろ!」
醜悪な暴言がただ振りかざされる。
これはいったい、なんなのだ。
迂闊であったことは志貴自身、認めざるを得ない。それでも、こんなに醜く汚いものが、聖
杯へと繋がる道だというのか。
いや、そんな聖杯さえないというのに、なぜ世界はこんなにも…………。
醜悪な表情に、歪みきった男に対し、必然的に込み上げてくる何かを志貴はただ受け入れる。
以前にもこんなことがあったようなデジャヴを見ながらに、それは過去と同じ道を再び歩も
うとする。
それは遠い昔、あらゆる直死の魔眼の持ち主達の終着点であったと言う。
いずれは制御しきれなくなる魔眼は、拡大に拡大を続け持ち主の脳を叩き潰す。
それが終焉。
そして、遠野志貴がいつの日か歩んだソレも、確かにその道筋の上にいたことを証明してい
た。
やがてはあらゆる魔眼封じでさえ封じきれなくなるソレは、止まることを知らない。
直死の魔眼が…………拡がってゆく。
風の臭いが僅かに変質する。
志貴さえもおぼろげな感覚の中で、いち早くこの異常な事態を察知したのは、ライダーであ
った。
己のマスターに愕然としながらも、ライダーは志貴の前に素早く立ち塞がった。
「……馬鹿なッ! 我がマスターながらに何たる愚行! あのままであったのならばアサシン
を仕留められたというのに、貴公のその行為は決定的なチャンスを潰したのだぞっ! こうな
ればもはや手段を選んではおれん。アサシンの中で何かが変わる前に、その魔術師を殺すか、
魔術師を捨てて貴公は逃げよっ!」
己のサーヴァントに叱咤され、魔術師の表情は明らかに怯んだものへと変わる。
ライダーのマスターは更に変質を遂げた空気に耐えられなくなったのか、ユイを離し後ずさ
り始める。
解放されたユイがその場でげほげほと咳き込み、力なく座り込んだ。そこから少しずつ遠ざ
かるライダーのマスター。それでも志貴は視線を外さない。
どんなに遠くへ去ろうとも、今更生きて逃げられるなどと思われては、困る。
「ぐっ……! あれでも我にとっては唯一のマスターぞ。致仕方なし。我が全力を以って、お
主をここで止めさせてもらう――!」
志貴の眼前に立つライダーの表情と、剣の構えが変わる。次いで凍りつく世界。
咳き込んでいたユイが青ざめた表情で顔をあげ、ライダーのマスターも血の気が引いたよう
に死人の表情でそれを見ていた。
――――宝具。
目の前のライダーは、志貴を本気で止めるつもりだ。全力を以ってとのその言葉に、偽りは
ない。
「この一撃を、受けよ!」
渦巻く巨大な魔力。
ライダーの掲げる魔力は、破壊と支配の意志をもって振りかざされている。
その魔力があまりにも圧倒的すぎて、ユイもライダーのマスターも、そしてライダーも気付
いてはいなかった。
遠野志貴の宝具。
それは既に、その内側に解放されているのだということに。
「ライダー。邪魔をするなら、俺は貴方を倒して先に進む」
開かれた扉。
ライダーとアサシンが、それぞれの真名を解放する。
「我が進み行くは1000年の栄華! 永久に続きし征服の標! この血に続け……!」
「我が真名に於いて、この世界へ干渉する。すべては等しく、平等に与えられたモノ」
グ ラ ン ド エ デ ン
「――――『大光なる征服の大地』!」
「――――『極死・固有結界「死園」』」
ライダーの放った宝具が巨大な閃光と化す。
征服し尽くした大地に、後の支配を許さなかったその極光。その全てを背負い、彼のイング
ランドの英雄は諸手を振り下ろす。
光の矛先の中心には志貴がいる。迫る光弾は回避不能。もはや志貴はそれを迎え攻撃に転じ
るしかない。
そもそも志貴は回避など考えてはいなかった、その証明に紡がれた言霊が世界を変革させる。
極光もろとも、この一帯に訪れる変質に目を見張ったのは果たして誰か。
そこは辺り一面のツギハギだけの世界。触れるだけでこの世界は崩れてしまいそうだった。
「――――世界は平等にソレを与える」
光が志貴を飲み込む。
ユイは「……いや」と小さく呻き、ライダーのマスターは乾いた笑いに興じた。
だが、ライダーは攻撃の手を緩めない。ツギハギだらけの世界の中で自らが敷いた極光へと、
前脚を潰された愛馬に跨り更なる追撃に討って出る。
二段構えの攻め手、これがライダーの宝具だった。
一撃目は立ち塞がるモノを薙ぎ倒す力、そして二撃目が従わぬモノを屈服させる力。焦土と
化した地を物言わぬ力で駆け抜け支配する。それがこの英雄に与えられた真の力である。
その宝具の前にアサシンは飲み込まれ決着はついたと、ライダーのマスターだけが歓喜し始
める。
だが、ユイは見つけた。
そして、掌に浮かぶ令呪が未だに精彩な輝きを保ち続けていることに拳を握り締めた。
ライダーの極光の最中、そこには確かに影が存在する。
ライダーではない、もうひとつの影が。
「――――この世界に非ずはなし、等しくソレは穿たれる」
志貴の内側より拡がった世界。
それは固有結界。
魔術におけるひとつの境地であり、世界へと変革を及ぼすことの出来る禁忌の力をアサシン
のサーヴァントが繰る。
術者の言霊に反応する世界は死の線を手繰り術者の下へと引き寄せる。殺すと望んだ対象そ
のものに触れずとも、この世界が対象への死を手繰り寄せてくる。
線を薙ぐ。
それは風化したアスファルトのように志貴の眼前で等しく極光を無へと帰した。
そこにひとつの例外もない。
あるのは、純粋な光弾の力と死を手繰り寄せる世界との鬩ぎ合い。
奇しくも極光は志貴の前で次々と殺され崩れてゆく。手繰り寄せる線は都度増し、それでも
光の束はおよそ収まることを知らなかった。
「ぐ……!」
志貴は呻く。
ツギハギの中にある世界は志貴のナイフと言霊とで、ボロボロと崩れ落ちていく。
それでもいよいよ殺しきれない極光が志貴の身体を削り取り始めた。
この世界はどんなものでも殺しきることが出来る世界でありながら、反面、何も殺せない世
界でもある。この大いなる矛盾はすなわち、遠野志貴本人による認識の範囲に他ならない。ツ
ギハギの世界に入った瞬間、死は平等に与えられこそすれ、術者がソレを認識しなければ固有
結界たる意味を為し得ない。死を視る力とは認識する力。それは本来視えないものを認識し、
崩していく力なのだ。
直死の魔眼は視覚でソレを認識し、固有結界は五感すべてを共有し負担を軽減させながらに
死を認識させ引き寄せてくる。自らの負担さえ顧みなければ、この世界にいる全てのモノを殺
すことさえ可能であるのかもしれない。だが、認識と行動は平行線を保てない。読み取るので
あれば死を読み取り、殺すのであれば線を辿り殺す。ただそれを同時に行うことは、認識の限
界を突破し行動を臨界まで到達させること。つまり、無意識のうちに脳の機能を固有結界……
創り上げた世界に委ねることを意味する。
そして同時にそれは術者の死を意味する。
心象世界……固有結界とは世界とは異なるモノ。
世界に拒絶される世界は消滅の道を辿る。
つまり、術者は固有結界の中に永劫留まることは出来ず、固有結界もまた世界の中で永劫と
留まることができない。
己の世界に認識の全てを委ねた時、それは心象世界の消滅と共に、自身の消滅を意味するの
だ。
「く、そっ……!」
降り止まぬ光の雨に、志貴は何かを見た。この豪雨の中に何かがいる。
それが何であるか考えるより先に志貴はその影の死を手繰り寄せる。
意識の一部を光弾より逸らしたことで光が志貴の身体を直撃していく。
直撃を受けたことでよろける身体をなんとかもたせ閃光の中、ライダーの姿を垣間見た。
志貴は躊躇なく手繰り寄せた死をナイフによって引き裂く。閃光の一部が腐った壁のように
ボロボロと崩れ、その侵攻はライダーへと向かって突き進む。ナイフなど届かぬ位置から、志
貴はライダーへとナイフを振るったのだ。
そしてやはり、ライダーはその異変に気が付いた。
見えない何かが自分自身へと向かってきている、その感覚だけに全てを委ねてライダーは線
の軌道上から逸れるように退く。
「――――ぬうがっ!」
飛び散る鮮血、そして苦悶の声。
虚空に飛んだのは耳ひとつ。
確かにライダーへと向かう死の線を切断したにも関わらず、ライダーは己の耳ひとつを引き
換えに志貴の必殺を回避してみせた。左半面を出血し、血に塗れていない右目を諦めるように
閉じて、ライダーは志貴の世界の外へと飛びずさった。
光の雨も止む。
「……魔力切れよ。アサシン、この勝負一先ず預けよう」
閃光は収まりを見せると、ライダーは自身の魔術師を抱える。
逃がすものかと追おうした志貴もまた、がくりと膝から感覚が抜け落ちるように倒れこんだ。
「次は、正々堂々と勝負したいものよな」
それだけ言い残し、ライダーと魔術師が森の中へと消えていく。
追わなければ。それでも、立ち上がろうと片膝を立てた瞬間、強烈な頭痛がそれを許さなか
った。
「志貴っ!」
少女が駆け寄る。
志貴は左手で両目を塞いだまま、脈動と拡がり続ける世界が収まるのを待ったが言うことを
聞かない。
魔眼殺しの眼鏡はライダーの攻撃にて破損。そして記憶にリカバリがかかったことで眼鏡の
復元は困難を極める。
もっとも、眼鏡があったところで魔眼の侵攻に対する苦痛を緩和できるとは到底思えなかっ
た。
「ぐっ……ま、ずい……!」
このままでは固有結界が暴走する。ふと、駆け寄った少女の「そうだ!」という声と共に、
志貴の手に何かが握らされる。
「志貴のその眼、魔眼なんだよね?」
頷くと、ユイはそれを更に力強く握らせた。
「だったらコレを使って。絶対、絶対役に立つはずだから!」
志貴に無理やり握らせた何かを、少女はそのまま眼の辺りまで持っていく。ふと、それで志
貴にもその正体が何であるかわかった。拡がる世界に抑止がかかる。これは、
「……魔眼、殺し……?」
「うん。私が倫敦を旅していた時に、知らないお爺さんに貰ったの。いつかきっと、役に立つ
時が来るだろうって」
本当に来るとは思わなかったけどね、なんて小さな笑い声を混ぜながら、三重で志貴の眼に
それを巻きつけた。暴走しかけた神経が次第に元へと戻り、頭痛も治まりをみせてくる。呼吸
を整え志貴と、そして世界はようやく平静を取り戻した。
するとユイが、そっと志貴の頭を抱きかかえた。
「……よかった。志貴が本当に死んじゃうんじゃないかって、思った。……本当に、よかった
……」
小さな嗚咽漏れる。
魔眼殺しを巻いていて表情こそ覗けないが、それでユイが泣いているのだなとわかった。
そっとユイを離し、気配の方へと手を伸ばす。
「んっ……」
ぽん、と志貴はユイの頭を撫でるように手を置いた。この少女はどこまでも、暖かい。
「あれほど守ると言ったのに……すまなかった。守るどころか、助けられた。まったく、本当
に役に立たないな、俺は……」
カチンと音を立ててナイフが閉じる。
武器はこのナイフと、そして魔眼のみ。
これから始まるであろう聖杯戦争を、それだけで勝ち抜いていかなくてはならない。
「……ううん、そんなこと言わないで。ちゃんと志貴は私を助けてくれた。生きているのが何
よりの証拠だもの……。志貴がいなかったら、とっくに殺されていた……」
そう言ってくれる少女に、酷く愛おしいものを感じる。
そうなのだ、この少女を守らなくてならないのだと、改めて志貴は感じる。
二度と今回のようなヘマは踏まない。踏んでやるものかと。
「ねえ、志貴」
ユイが平静を取り戻すと、ふと呟く。
そしてその声色は、これまでとは少し違うものであることに志貴は気付いた。
「どうかした?」
「あのね、自分のこと……思い出したんだよね? 志貴が英霊になった理由。英雄として世界
と契約するきかっけになった出来事を、あなたは思い出した?」
志貴は、その質問にしばし逡巡した後、ゆっくりと首を横に振る。
確かに過去の事を思い出しはした。だからこそ魔眼の力を真に取り戻し、ライダーを退ける
に至った。
それでも、過去の記憶のすべてを取り戻したわけではなく、あくまで断片的、それも自らが
死を迎え入れた直前の光景のみが、記憶として焼きつき戻ってきた部分であり、そこまでの過
程はほとんどが記録されてはいない。
後は更に遡った記憶しかなく、肝心な部分はその大半が未だ霧の中。
ゆえに思い出したという表現そのものが、当てはまるのかさえも怪しいところだ。
それになにより、志貴自身は英雄になった覚えも、世界と契約をした記憶さえ持ち合わせて
はいなかった。
英雄とは人の身に余る偉業を成し遂げた者、世界と契約することで英雄としての力を得た者
を指すのであれば、尚更だ。
どんなに思い返してもそれに該当する事実には突き当たらなかった。
「そっか……」
ユイは少しだけ迷った風に呟いた。
それでも意を決したのだろう。志貴の真正面の気配が、凛とした態度を覗かせる。
「あのね、志貴のこと少しだけ調べたの。日本にも魔術協会とは違った機関があって、そこが
保管している文献や編纂をいくつか覗かせてもらって」
そういえば、召還された翌々日に街まで出て、互いに分かれて情報の収集をしたことがあっ
たなと思い出す。おそらくはその時の事なのだろう。
「あの……ぜんぶが本当なのかは分からないんだ。だから、あんまり真に受けられても困るか
も……。あのね、この事実は明るみに出ることはなくって、ずっとこの島国と倫敦とで隠蔽さ
れ続けていたことらしいの。だから隠し続けていたその人たちも、きっと志貴とは無関係じゃ
ないんだと思う。そして、志貴を大切に想い続けてきた人たちなんだと思う」
今に生きる、知れ人。
島国の機関はとある企業グループが強力な圧力をかけ続け、それらの資料が表に出ること決
してはなかった。もとい、許されはしなかったのである。しかしながら、それがここ数年で解
禁されたのだという。
その理由こそ定かではないが、決してただ単純に表側へ出されたわけでもないのだろう。
何らかの思惑があり、それは必然として表側へと出てきた。今となっては、それだけのこと
だとしか言いようがない。
そして、倫敦、協会。
関連する資料や編纂を一手に押さえ込んだ人物が一人だけいたのだとユイは聞いている。
その名前は、裏側の世界を垣間見る者達ならば、一度は必ず耳にする名前であったのだ。
その名は――――アオザキ。
倫敦では未だにそれらの資料は、起きる予定もなく眠り続けている。
「およそ50年前まで遡るそのお話は、西欧で起こったひとつの変革。志貴は、その――――」
話が終わる頃には、日はとっくに昇り始めていた。
そしてユイのひとつの提案を、志貴は快く快諾する。
この不可解な聖杯戦争の謎を解き明かすために、そして遠野志貴という人間に課せられた因
果を見極めるために。
「やっぱり冬木を管轄している魔術師にあたるのが一番よね。そうすれば、この聖杯戦争の謎
が少しは見えてくるかもしれないし!」
昇っていたはずの月はすでに地平線へと傾いていた。
志貴のマスターは隣に腰を下ろしてから、僅かもしないで小さな寝息を立て始める。
これは聖杯戦争が始まるまでのほんの短い休息。
これから自分達が足を踏み入れようとしている先に、休息なんてきっとない。
だからもう少しこのままでいよう。
隣の少女に小さな笑みを零して、志貴もまた目を閉じる。
朝陽が、ゆっくりと二人を照らし、そして包み込んでいった。
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あとがき3。
お疲れ様でした。そしてご一読ありがとうございました。
今回のお話はACT1より少しだけ時間を遡ったマスターとサーヴァントのお話。
それよりも、このSSがクロスであることがようやく垣間見えた瞬間とでもいいましょうか。
主人公その3ペアです。
でもって、今回はアサシンVSライダー。
聖杯戦争開幕前の激闘、強すぎる、強すぎるぞライダー。
文中にも記載してますが、イングランドの英雄、そして第六回新参の英霊です。
正体については、どこかで語られることでしょう、多分。
役者の半数以上が揃った聖杯戦争は次話よりいよいよ動き出します。
黒幕と、聖杯復活の意味。
そして、過去との邂逅。
吸血鬼登場!(ぁ
次回の更新は1月27日です。